「七色いんこ」全7巻―代役専門の舞台役者(兼・泥棒)描く手塚治虫の怪作

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手塚治虫さんが亡くなられてから30年あまりが経ちますが、「鉄腕アトム」「火の鳥」「ブラック・ジャック」など氏の遺された「手塚漫画」の数々は、今も色褪せない輝き、おもしろさを持ちます。

その中でも異彩を放つのが、本記事でご紹介する「七色いんこ」。緑がかったオカッパ頭に逆三角形の色眼鏡、という奇妙な格好をした青年。見たことはあるけど詳しくは知らない、という方も多いのではないでしょうか?

この「七色いんこ」は各話のストーリーが「実際の演劇をベースに構成されている」という数々の手塚漫画の中でも、いや全漫画作品の中でも、かなり異色の作品。若干クセもありますが、他の漫画では味わえない独特の漫画体験をさせてくれる怪作です。

「七色いんこ」レビュー

あらすじ・概要

「七色いんこ」は、1980年代前半に秋田書店「週刊少年チャンピオン」にて連載されていた少年漫画。オリジナルの単行本は少年チャンピオン・コミックスより刊行、全7巻完結です。

主人公は、謎の舞台役者・七色いんこ。「代役専門」でどんな役でも天才的にこなしてしまう、というのがその特徴。変装も得意で、奇異な格好も彼のマスクの一つ。

しかしてその正体は、「金持ち専門の泥棒」。彼の舞台を見に来た上客のふところから隙を見て金目のものを戴く、というのがその手口。その変装の腕を活かして、時には舞台以外で「仕事」をすることも。

その七色いんこを逮捕しようと躍起になるのが、重度の鳥アレルギーで、鳥が近くにいると二頭身に縮んでしまう、というユニークな体質を持つ警視庁の千里万里子(せんり・まりこ)刑事。

元・スケバン(死語)で、かなりの運動神経を持つ彼女は、上司の命令で”いんこ”をマークすることに。公演で盗みを働く”いんこ”の尻尾を掴もうとするが、なかなか上手くいかない。が、実は七色いんこに惚れてしまって…?(第一話で”いんこ”を間近で見て「ドキーン」とするw)

そんな二人のラブコメも絡めた?駆け引きと、手塚治虫漫画らしいサスペンスフルで奇想天外なストーリーが、全7巻で展開されていきます。

七色いんこ 1手塚治虫:手塚プロダクション

なお「七色いんこ」は現在、電子書籍では秋田書店チャンピオン・コミックス版・全7巻、手塚プロダクション版・全7巻、講談社手塚治虫文庫全集版・全3巻の3種類が刊行。本記事の内容は「手塚プロダクション版」(青いカバー)版をもとにしています。各版については若干違いがあるのですが、それは記事末にて。

演劇・戯曲をベースにしたストーリー

舞台で代役を演じ、そして盗みを働く”いんこ”と、それを阻止せんと彼を付け狙う(つきまとう?)千里刑事のドタバタだったり、舞台外で変装の特技を活かして盗みを働くサスペンス風なストーリーが各話で描かれる「七色いんこ」。

「代役専門の役者+泥棒」という設定自体も奇抜なのですが、作品の最大の特徴は、全四十数話の多くが「演劇・戯曲作品を物語のベースとしている」こと。

  • ハムレット
  • どん底
  • 人形の家
  • 修禅寺物語
  • ガラスの動物園
  • 検察官

といった1巻収録のタイトルを見ると、演劇関連に詳しくない方でも聞いたことのある作品があるのではないでしょうか。

「七色いんこ」各話のストーリーは基本、”いんこ”の泥棒話、または”いんこ”と千里刑事の追っかけっこ。その基本線に、これら演劇・戯曲の物語全体、または一部構造が取り入れられ、手塚漫画と名作のミックスとも言える唯一無二の読後感を味わうことができます。

なお演劇各作品のおおまかな内容は、劇中での説明や”いんこ”による実演があったりするので、作品を知らなくても充分楽しめます。本記事後半でご紹介する「ベニスの商人」などは手塚漫画とオリジナルの融合が、ちょっと笑っちゃうぐらい見事。私はこれで「ベニスの商人」のおもしろさを知りましたw。

実際、この「ストーリーに演劇を絡めている」というのが「七色いんこ」の肝。漫画を読みながら演劇の内容に触れるだけではなく、作中で描かれる舞台の様子が、普段演劇に触れる機会の無い人間にとっては大変興味深いもの。

“いんこ”の活躍を楽しみながら知らずしらず「演劇」に馴染んでいく、というのはスゴイ漫画体験。これが少年誌で普通に描かれているというのも、手塚作品の侮れないところです。

ややアクが強い

しかしこの「七色いんこ」、冒頭で挙げた手塚漫画の名作に較べると、若干、人気・知名度とも下がるような気がします。それはこの漫画、独特の「アクの強さが」あるから、ではないかと。

基本的には「ブラック・ジャック」にも通ずるシリアスなストーリーが多いのですが、時々ギャグ回があったり、連載当時の少年チャンピオンの空気を反映したコメディ表現があったりします。

例えば”いんこ”が突然、脈絡も無く「日本の国土!」と叫んだり(おそらく当時の北方領土事情を反映している)、吾妻ひでお風のキャラクターが出てきたり。

それらの中でも一番わかりにくいのが、「ホンネ」の出てくる回ではないでしょうか(4巻表紙にいる1つ目のオバケみたいなヤツ)。これは”いんこ”の内面を表す「ホンネ」なのですが、これが出てくる時は普段はクールな”いんこ”が、かなりカッコ悪いことに。4巻収録の「棒になった男」とか、もう…。

まあ、これらの含めての「七色いんこ」。知ってればどうってことは無い、ハズ。

驚愕の最終展開

おもしろいんだけど、独特な風合いを持つ「七色いんこ」。しかし本作が数ある手塚作品の中でも異彩を放つのは、一度読むと忘れられないインパクトを受ける、驚愕の最終展開にあり。

そもそも七色いんこは、なぜ「役者」で「泥棒」なのか?なぜ奇妙なマスクを被っているのか?お金を貯め込んでいるようだが何故なのか?

いろいろな「なぜ」を持つ七色いんこ。第一話で彼と財界のドン・鍬形隆介(くわがたりゅうすけ)との確執が描かれるのですが、その「謎」が7巻の大部分を占める「終幕」にて明かされます。

そしてそれは、”いんこ”と鍬形だけの話かと思いきや、実は千里刑事も関係していて…?

思わず「マジか!」となる最終話、ある意味ビックリ展開ではあります。連載当時の状況はわかりませんが、「七色いんこ」の連載終了で手塚治虫先生、ヤケになったのか?とも思える内容(不人気で、実際にとんでもない終わり方をした手塚漫画は結構あります)。

しかし若干無理矢理な部分もありますが、よくよく読むと意外と辻褄の合っている最終話。特に千里刑事が鳥アレルギーであること、そして第一話で「ドキーン」としたことなどが、実は物語の秘密に繋がっている、とわかった時は、なかなかの衝撃が。

ネタバレになるのでこれ以上は深堀りしませんが、「七色いんこ」を読者の記憶に残す強烈なインパクトを持つ最終話。機会があれば是非読んでいただきたい。

オススメのエピソード

「七色いんこ」で個人的に印象に残っているエピソードをいくつかご紹介。巻数・話数の表記は手塚プロダクション版より。

検察官

1巻より第6話「検察官」。変装の腕を買われ、大やけどを負ったフィリピン・マフィアの「代役」をすることになった七色いんこ。一族の会議にてボスの遺産を受け取ろうとするが、それは難民から奪った呪われた金だった…。

ゴーゴリ作の「検察官」をベースにした話。変装が得意という”いんこ”の特性が遺憾なく発揮されたストーリーで、終盤の”いんこ”の「名演」にニヤリ。余韻の残るラストも良い。

ゴドーを待ちながら

2巻より第2話「ゴドーを待ちながら」。喫茶店の店頭で呼び込みをする女性型のコンピューター端末・オルガ。時々狂ったように「ゴドーに会いたい」と繰り返す”彼女”が妙に気になる”いんこ”は、店頭に立ち続けボロボロになった彼女を盗み出すことに。

ベースはベケットの不条理演劇。手塚治虫自身によるアニメーション「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」に登場のロボット・オルガがゲストとして登場。「ちょっと不思議な話」に分類されるエピソードなのですが、不思議な魅力があるんですよね…。

じゃじゃ馬ならし

3巻より第1話「じゃじゃ馬ならし」。依頼されて田舎の牧場に引退した競走馬「ナシノツブテ」を見に来た七色いんこ(と備考してきた千里刑事)。ある日突然牧場を逃げ出し、夜な夜な戻ってきては姿を消すという、ナシノツブテの謎に挑む。

ベースはシェイクスピアの戯曲。タイトル通り「馬」が絡んだエピソードですが、「じゃじゃ馬」が千里刑事のことも指すのは言うまでもなし。ホテルの一部屋に同泊することになった”いんこ”と千里刑事、その微妙な距離感や、千里刑事のお見合い風景など、「七色いんこ」でキーになる出来事がふんだんに描かれます。

シラノ・ド・ベルジュラック

3巻より第3話「シラノ・ド・ベルジュラック」。自身が代役で演じた「シラノ・ド・ベルジュラック」を、演劇評論家・胡月に酷評された七色いんこ。彼に講義するが、逆に「個性が無い」という欠点を指摘される。”いんこ”は元役者である胡月にシラノの実演を要請。了承する胡月だが、敵の多い彼は自動車に轢かれ…。

ベースはエドモン・ロスタンの戯曲。”いんこ”の盗みが無い、純粋な演劇回。天才的な役者と評される七色いんこの欠点が顕になるという面白みと、演劇の凄さ・奥深さが伝わるエピソード。

ベニスの商人

5巻より第7話「ベニスの商人」(「ベニス」は作中表記より)。七色いんこの愛犬・玉サブロー。食べたら無料のジャンボ・ステーキに挑戦するが、敢え無く撃沈。オーナーに「三日間で代金を支払えないならば体全てをライオンに提供する」という誓約を結ばされる。なんとかお金を工面しようとする玉サブローだが…。

シェイクスピアの手による喜劇より。喜劇、そして犬が主役ということで、ギャグ回(笑)。が、描かれる内容はまさに「ヴェニスの商人」。実にわかりやすい話です。ちなみにライオンの名前がシャイロックw。

恋わずらいのなおし方

6巻より第4話「恋わずらいのなおし方」。七色いんこ逮捕のために、母校のスケバン・天草モズクに(強引に)協力を依頼する千里刑事。スケバンたちと共に、公演の警戒にあたる。一方、公演に来た香港の実業家女性が身につける宝石を狙う”いんこ”。宝石商への変装は完璧かと思われたが…。

オリジナルはソーントン・ワイルダーの一幕劇。千里刑事の言いなりにならず、”いんこ”に警備をバラすモズク。そのモズクに「舞台はまるで異次元の世界の浜辺なのだ!!」と、演劇に対する情熱を熱弁する”いんこ”。そして”いんこ”に惚れちゃうモズク(笑)。一方”いんこ”の身に迫る危険に、自らの立場を忘れて奔走する千里刑事の姿が印象的。「七色いんこ」の魅力が多数詰まった良エピソード。

まとめ

以上、手塚治虫さんの漫画「七色いんこ」のレビューでした。どろぼう役者と女刑事、シリアスなストーリー+独特のシュールなエピソード、そして驚愕の最終話と、数ある手塚漫画の中でも異彩を放つ作品。

そして作中に練り込まれている「演劇の魅力」が、本作を唯一無二の漫画としています。レビュー中にもある通り若干アクの強さもありますが、一度読むと他には無い漫画体験ができるのではないでしょうか。

なお先述の通り「七色いんこ」電子書籍版には、

  • 秋田書店チャンピオン・コミックス版(全7巻)
  • 手塚プロダクション版(全7巻)
  • 講談社手塚治虫文庫全集版(全3巻)

の三種類が手に入ります(紙書籍では他に「七色いんこ 《オリジナル版》 大全集」なども有り)。

この中で「秋田書店チャンピオン・コミックス版」には、以下のエピソードが収録されていません。

  • アルト=ハイデルベルク
  • オンディーヌ
  • 悪魔の弟子
  • R・U・R
  • 幕間II
  • 作者を探す六人の登場人物
  • オセロ
  • タマサブローの大冒険(番外編)

しかしオリジナル版である「秋田書店チャンピオン・コミックス版」には、他のバージョンに収録されていない、文章による「演劇解説」が収録されています。これが演劇を理解する上で、結構貴重だったりするんですよね…。

どれが良い、とは一概には言えないのですが、もし「七色いんこ」を手に取られることがありましたら、こちらの情報も参考にしてみてください。

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