『鉄腕アトム』『火の鳥』『ブラック・ジャック』など、数多くの名作漫画を生み出した手塚治虫さん。その作品の中でも特に異彩を放つのが、漫画『七色いんこ』。
緑がかったオカッパ頭に逆三角形の色付き眼鏡、という奇妙な格好をした青年。その正体は「代役専門の役者にして泥棒」という”七色いんこ”の、奇妙な冒険が描かれます。
また各話のストーリーが「実在の戯曲・演劇をベースに構成」されているという特徴を持つ『七色いんこ』。若干クセもありますが、他の漫画では味わえない漫画体験をさせてくれる怪作、異色の演劇漫画です。
以下。『七色いんこ』の主なあらすじや見どころなどをご紹介します。
『七色いんこ』あらすじ
『七色いんこ』は、1980年代前半に秋田書店「週刊少年チャンピオン」に連載されていた少年漫画。
主人公は「代役専門」で変装が得意、どんな役でも天才的にこなす謎の舞台役者・七色いんこ。その正体は、舞台を見に来た上客から金目のものを盗む「金持ち専門の泥棒」。
彼が時に役者として、時に泥棒として、様々なエピソードで活躍する様が描かれていきます。
また物語で重要な役割を果たすのが、スケバン上がりの美人刑事・千里万里子(せんり・まりこ)。
七色いんこを逮捕しようと躍起になるが、実は七色いんこに惚れてしまって…?(第一話で、七色いんこの端正な表情を間近で見て「ドキーン」とするw)
そんな二人のラブコメも絡めた?駆け引きと、サスペンスフルで奇想天外なストーリーが、全7巻で展開されていきます。
なお『七色いんこ』の単行本については複数のバージョンがありますが(後述)、本記事の内容は「電子書籍の手塚プロダクション版」をもとに構成しています。
『七色いんこ』のココが面白い!
演劇・戯曲をベースにしたストーリー
『七色いんこ』の最大の特徴は、全四十数話の多くが『ハムレット』『人形の家』『ガラスの動物園』『検察官』など、「実在の演劇・戯曲作品を物語のベースとしている」こと。
各話は泥棒話や千里刑事との追っかけっこが基本線なのですが、それらに演劇・戯曲の物語や一部構造が取り入れられ、手塚漫画と名作のミックスとも言える唯一無二のストーリーが展開されます。
演劇・戯曲作品のおおまかな内容も、劇中での説明や七色いんこ本人による解説があるので、作品を知らなくても充分楽しめます(そこが本作のスゴイところ)。
本記事後半でご紹介する『ベニスの商人』などは、手塚漫画とオリジナルの融合がちょっと笑っちゃうぐらいお見事。私はこれで『ベニスの商人』のおもしろさを知りましたw。
実際、演劇・戯曲の内容や、作中で描かれる舞台演劇の様子は、普段演劇に触れる機会の無い人間にとっては大変興味深いもの。
七色いんこの活躍を楽しみながら自然に「演劇」に馴染んでいく、というのはスゴイ漫画体験。これが少年誌で描かれていたというのも驚きです。
ややアクの強い物語
しかしこの『七色いんこ』、手塚治虫漫画の名作と較べると、若干、人気・知名度とも下がるような気がします。それはこの漫画独特の「アクの強さ」が理由かもしれません。
基本的にはシリアス路線のストーリーですが、七色いんこが脈絡も無く「日本の国土!」と叫んだり(おそらく当時の北方領土事情を反映している)、連載当時の少年チャンピオンの空気を反映したコメディ表現があったり、随所にやや独特な雰囲気が。
それらの中でも特にとっつきにくいのが、「ホンネ」の出てくる回(4巻表紙にいる1つ目のオバケみたいなヤツ)。
これは七色いんこの内面を表す「ホンネ(本音)」なのですが、これが出てくる時は普段はクールな彼が、かなりカッコ悪いことに。
まあこれは「こういうもの」として理解していただければ…。
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最終回のビックリ展開がスゴイ
そんな独特な風合い・面白みを持つ漫画『七色いんこ』。しかし本作が数ある手塚作品の中でも異彩を放つのは、一度読むと忘れられない驚愕の最終展開ゆえ。
そもそも七色いんこはなぜ「役者」で「泥棒」なのか?なぜ奇妙なマスクを被っているのか?なぜお金を貯め込んでいるのか…?
いろいろな「なぜ」を持つ七色いんこ。第一話で彼と財界のドン・鍬形隆介(くわがたりゅうすけ)との確執が描かれるのですが、その「謎」が7巻の大部分を占める「終幕」にて明かされます。
そしてそれは七色いんこと鍬形だけではなく、実は千里刑事も関係していて…?思わず「マジか!」となる最終話、非常にビックリな展開。
連載当時の状況はわかりませんが、『七色いんこ』の連載終了で手塚治虫先生、ヤケになったのか?とも思える内容(実際にとんでもない終わり方をした手塚漫画は結構あります)。
しかし若干無理矢理ながらも、よくよく読むと意外と辻褄の合っている最終回。
特に千里刑事の特殊体質(鳥アレルギー)や、第一話で「ドキーン」としたことなどが、実は物語の秘密に繋がっている伏線だった(かもしれない)とわかった時は、なかなかの衝撃が。
ネタバレになるのでこれ以上は深堀りしませんが、『七色いんこ』を読者の記憶に残す強烈なインパクトを持つ最終回。驚愕のストーリーをぜひ楽しんでみてください。
感想・レビューまとめ
以上、手塚治虫さんの漫画『七色いんこ』感想・レビューでした。
どろぼう役者と女刑事、シリアスなストーリー+独特のシュールなエピソード、そして驚愕の最終回と、数ある手塚漫画の中でも異彩を放つ作品。
そして作中に練り込まれている「演劇の魅力」が、本作を唯一無二の漫画としています。
若干アクの強さもありますが、一度読むと他には無い漫画体験ができるのではないでしょうか。
『七色いんこ』電子書籍バージョンについて
漫画『七色いんこ』のオリジナルは、少年チャンピオン・コミックスより刊行の単行本全7巻。また電子書籍版は現在、下記の3種類が存在しています。
- 秋田書店チャンピオン・コミックス版(全7巻)
- 手塚プロダクション版(全7巻)
- 講談社手塚治虫文庫全集版(全3巻)
※紙書籍では他に「七色いんこ 《オリジナル版》 大全集」なども有り。
この中でオリジナルである「秋田書店チャンピオン・コミックス版」には、以下のエピソードが収録されていません。
- アルト=ハイデルベルク
- オンディーヌ
- 悪魔の弟子
- R・U・R
- 幕間II
- 作者を探す六人の登場人物
- オセロ
- タマサブローの大冒険(番外編)
しかし「秋田書店チャンピオン・コミックス版」は、他のバージョンに収録されていない文章による「演劇解説」を収録。これが演劇を理解する上で結構貴重だったりするんですよね…。
どのバージョンが良いかは一概には言えないのですが、もし『七色いんこ』を手に取られることがありましたら、以上の情報も参考にしてみてください。
『七色いんこ』オススメのエピソード
以下、『七色いんこ』で個人的に印象に残っているエピソードをいくつかご紹介。巻数・話数の表記は手塚プロダクション版より。
検察官
1巻より第6話『検察官』。
変装の腕を買われ、大やけどを負ったフィリピン・マフィアの「代役」をすることになった七色いんこ。
一族の会議にてボスの遺産を受け取ろうとするが、それは難民から奪った呪われた金だった…。
ゴーゴリ作の『検察官』をベースにした話。変装が得意という”いんこ”の特性が遺憾なく発揮されたストーリーで、七色いんこ終盤の「名演」にニヤリ。余韻の残るラストも良い。
ゴドーを待ちながら
2巻より第2話『ゴドーを待ちながら』。
喫茶店の店頭で呼び込みをする女性型のコンピューター端末・オルガ。時々狂ったように「ゴドーに会いたい」と繰り返す”彼女”が妙に気になる七色いんこは、店頭に立ち続けボロボロになった彼女を盗み出すが…?
ベースはベケットの不条理演劇。手塚治虫自身によるアニメーション『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』に登場のロボット・オルガがゲストとして登場。
「ちょっと不思議な話」に分類されるエピソードですが、不思議な魅力があります。
じゃじゃ馬ならし
3巻より第1話『じゃじゃ馬ならし』。
依頼により、田舎の牧場に引退した競走馬「ナシノツブテ」を見に来た七色いんこ(と尾行してきた千里刑事)。ある日突然牧場を逃げ出し、夜な夜な戻ってきては姿を消すという、ナシノツブテの謎に挑む。
ベースはシェイクスピアの戯曲。タイトル通り「馬」が絡んだエピソードですが、「じゃじゃ馬」が千里刑事のことも指すのは言うまでもなし。
ホテルの一部屋に同泊することになった七色いんこと千里刑事、その微妙な距離感や、千里刑事のお見合い風景など、『七色いんこ』でキーになる出来事がふんだんに描かれます。
シラノ・ド・ベルジュラック
3巻より第3話『シラノ・ド・ベルジュラック』。
自身が代役で演じた『シラノ・ド・ベルジュラック』を、演劇評論家・胡月に酷評された七色いんこ。彼に抗議するが、逆に「個性が無い」という欠点を指摘される。
七色いんこは元役者である胡月にシラノの実演を要請。了承する胡月だが、敵の多い彼は自動車に轢かれ…。
ベースはエドモン・ロスタンの戯曲。七色いんこの盗みが無い、純粋な演劇回。
天才的な役者と評される七色いんこ、その欠点が顕になるという面白みに加え、演劇の凄さ・奥深さが伝わるエピソード。
ベニスの商人
5巻より第7話『ベニスの商人』(「ベニス」は作中表記より)。
七色いんこの愛犬・玉サブロー。食べたら無料のジャンボ・ステーキに挑戦するが、敢え無く撃沈。オーナーに「三日間で代金を支払えないならば体全てをライオンに提供する」という誓約を結ばされる。
なんとかお金を工面しようとする玉サブローだが…。
シェイクスピアの手による喜劇より。喜劇、そして犬が主役ということで、ギャグ回(笑)。
が、描かれる内容はまさに『ヴェニスの商人』。実にわかりやすい話です。ちなみにライオンの名前がシャイロックw。
恋わずらいのなおし方
6巻より第4話『恋わずらいのなおし方』。
七色いんこ逮捕のために、母校のスケバン・天草モズクに協力を依頼する千里刑事。スケバンたちと共に、公演の警戒にあたる。
一方、香港の実業家女性が身につける宝石を狙う七色いんこ。劇場で宝石商に変装し接近するが、意外なところから綻びが…。
オリジナルはソーントン・ワイルダーの一幕劇。千里刑事に反発し、七色いんこに警備をバラすモズク。
その彼女に「舞台はまるで異次元の世界の浜辺なのだ!!」と、演劇に対する情熱を熱弁する七色いんこ。そして惚れちゃうモズク(笑)。
一方、七色いんこの身に迫る危険に、自らの立場を忘れて奔走する千里刑事の姿が印象的。『七色いんこ』の魅力が多数詰まった良エピソード。
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